しょうだいぎょう唱題行
唱題行展開プロジェクトでは日蓮聖人(にちれんしょうにん)が伝えられた
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のお題目を
世界中の人びとに伝えるために活動しています。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」
声高らかに唱え、仏さまに心身を委ね、自己を見つめ、目まぐるしく移りゆく心の中に、仏さまを見出す。
自分本位の「ありのまま」から、慈悲に溢れた「あるべき」姿を探る。それが唱題行です。
唱題行展開プロジェクトでは日蓮聖人(にちれんしょうにん)が伝えられた
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のお題目を
世界中の人びとに伝えるために活動しています。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」
声高らかに唱え、仏さまに心身を委ね、自己を見つめ、目まぐるしく移りゆく心の中に、仏さまを見出す。
自分本位の「ありのまま」から、慈悲に溢れた「あるべき」姿を探る。それが唱題行です。
唱題行は「僧俗一体(そうぞくいったい)の修行」です。僧侶と一般の方とを分け隔てなく行う行法なのです。日蓮宗では、「唱題正行」と呼び、最も大切な行(ぎょう)として位置づけています。
その精神は仏教を開いたお釈迦さまにまでさかのぼります。
お釈迦さまは今から約2500年前、インドの大地に生まれました。王子という位でありながらその身分を捨て、修行の果てについに悟りを開かれ、ご入滅(にゅうめつ)されるまで40数年にわたり各地を歩いて、人々に教えを説かれました。
当時のインド世界では、カーストによる身分制によって社会が分断されていましたが、お釈迦さまは「人の価値は生まれによって決まるのでなく、その行いこそが大切なのだ」と示されました。その教えは、分け隔てなく「衆生」(しゅじょう)、すなわち、「生きとし生けるものすべて」を救うものでした。
お釈迦さまがご入滅された後も、その教えは廃れることなく、弟子たちによって世界中に広がっていきました。
仏教は遠く離れた日本にも伝わりました。しかし、仏教が誕生したインドと、東の果ての日本。その間には数万㎞に及ぶ旅路だけでなく、1000年以上という時間の隔たりもあります。そんな遠くに、お釈迦さまの救いは届くのだろか?そう考える人々もいました。
今から800年ほど昔、鎌倉時代に生まれた日蓮聖人はその疑問に正面から立ち向かいました。そして、あらゆる経典を研鑽(けんさん)し尽くした後、お釈迦さまはそんな「末法(まっぽう)」の私たちにこそ教えを説かれているのだと気づきます。その教えこそ法華経です。お釈迦さまは、その晩年、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)という山の頂きでこの教えを説かれたのでした。
この法華経を修行する方法こそが唱題行です。「南無妙法蓮華経」のお題目の中には、お釈迦さまが私たちに与えてくださった「おさとり」の心が込められています。一心に「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えしましょう。そのとき、時間と空間を超えて、お釈迦さまと私たちはひとつになることができるのです。
「末法思想」とは、お釈迦さまがご入滅されてより、ながい時間が過ぎるとともに、その教えが薄れ、社会が混乱し退廃していくという歴史観です。日本では、日本天台宗祖・最澄(さいちょう)によって著された「末法灯明記(まっぽうとうみょうき)」の記述をもとにして、永承七年(1052)に仏滅後2000年を過ぎて末法に入ったとされました。ちょうどその頃、平安末期から鎌倉時代にかけて、公家の政治が乱れ武士が台頭していく社会混乱があり、当時の人びとはこれを末法と認識して怖れました。日蓮聖人をはじめ、鎌倉時代の僧侶たちにとって、この歴史的状況にどう対峙するかが根本的な課題でした。(お釈迦さまの生誕年には諸説あります。現在学術的に日本で有力なのは紀元前463年説です。東南アジアの仏教国では主に紀元前624年説が採用されています。)
#オンライン唱題行 (しょうだいぎょう)は、日本全国のお寺や一般のご家庭をオンラインでつなぎ、日蓮宗の伝統的修行法である唱題行(お題目「南無妙法蓮華経」を共に唱える)イベントです。
これまでのダイジェスト動画を公開しています。
ぜひご覧ください!
唱題行(しょうだいぎょう)は、日蓮宗でお薦めしている、どなたでもできるお題目修行です。
初めて見聞きする方や、はじめてみたいけど分からない、という方向けの動画になっています。
まずは唱題行を身近に感じて頂けるよう、ぜひご覧になってください。
唱題行は日蓮宗において信徒向けの唯一とも言える行法です。唱題行を行うことにより、檀信徒との一体感を得て、絆を深めて頂くことが可能です。
日蓮聖人遺文
釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』
(『定本遺文』711頁)
釈尊の因行の法、果徳の法は、すべて妙法蓮華経に具足しているということであって、凡夫の我々がこの妙法蓮華経の五字を受持(信奉)するならば、おのずからその因行と果徳との功徳を譲り与えられて、釈尊と同体の仏となるのである。
日蓮聖人遺文
天晴れぬれば、地明らかなり。法華を識る者は、世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたもう。四大菩薩のこの人を守護したまわんこと、大公・周公の成王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異らざるものなり。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』
(『定本遺文』720頁)
天が晴れれば地が非常に明るくなる。それと同様に法華経の真髄を識る者は、天変地夭などの世法(世間法)における出来事の由来の根本を知ることができるのである。
「一念三千」の法門を識ることができない者に対しては、教主釈尊が大いなる慈非の手を差し伸べ、妙法蓮華経という五字のなかにこの珠をつつみ、末代のいとけなき凡愚の衆生の頸に懸けさせたもうたのである。四大菩薩がこの人を守護するゆえんは、中国古代において太公望や周公旦が成王を助け、商山に隠れ住んだ四人の白髪の賢者が幼い恵帝に仕えたのとまったく異なることがないのである。
「あんのん基⾦」は、⼈々の笑顔を増やす⼤切な基⾦です
すべての人の苦しみを除き、喜びを願う気持ち。これは、仏教徒の基本精神です。日蓮宗では、このように他者の幸せを願い、そのために自らが行動する慈悲の精神にのっとり、社会活動を支援しています。
「あんのん基金」は、様々な社会活動・地域貢献・国際協力を行う団体や活動を支援する大切な基金です。戦争、天災、貧困、環境などの諸問題に対峙する世界中の方々へ、民族や宗教、文化の違いを超えて最も有効な支援を届けること。そして明るい社会を育て、人々の絆と笑顔を増やしていくこと。一人ひとりの小さな善意がこれらを実現し、明るい社会をつくる大きな一歩となります。
日蓮宗では、教師・檀信徒はもとより、多くの方々に広く支援を呼びかけてまいります。
皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。